Mount Ida─イーデーの山(少年パリスはまだ羊飼いをしている)撤去問題について

岡﨑 乾二郎

コメント

長い年月をかけて、ひとびとの思いとともに育ってきた文化が、堂々と発表できないような一過的な計画のためにかくも安易に解体撤去されようとしていることを、残念に思い、ひたすら悲しんでいます。

1. 撤去計画を知った経緯

 2022年6月、電話口頭でアートフロントギャラリーの飛田氏より、ファーレ立川の岡﨑作品を撤去する計画があると伝えられる。岡﨑はそれに対して口頭で以下のように返答する。なお飛田氏はこの件についての自分の立ち位置は「ボランティアのオブザーバーにすぎない」と説明、つまり耳で挟んだことを伝えはするが、それについて責任はとれない、という説明であった。

A. 岡﨑作品だけでなく、ファーレ立川にある作品群全体に影響を与えることなので自分だけで、解体を了解できるかどうかの判断はできない。

B. 計画の概要が口頭では曖昧であるので 、計画詳細を図面などとともに開示してほしい。

C. ファーレ立川全体の作品を今後どのように保存し、継続していくのか? アーカイブの方法(3Dデータ作成など)、情報の公開方法などを含めて、運営委員会、アートフロントギャラリー側に全体の方針の開示をもとめる。

D. もし撤去されるとしても撤去後の可能性などの議論はB.C.について具体的な図などを伴った情報が提示されないかぎり、その撤去計画が適切なものかどうかすら判断もできず答えもだせない。

 9月になっても工事主体からのB.C.についての情報の開示はなく、アートフロントの飛田氏との応答も途絶えたままだった。口頭で伝えられた2月工事という予定が切迫していることもあり、進捗状況を飛田氏に電話で問い合わせた。アートフロントギャラリー(オブザーバー)を介した伝達は曖昧となるので、工事の主体である高島屋(東神開発)側、運営委員会などから直接、工事の詳細、経緯を説明してもらう機会を設けてほしいことを伝える。

 ようやく11月14日、ファーレ立川内商工会議所で川口哲生(立川商工会議所会頭)、椙山達也(東神開発株式会社営業本部首都圏事業部管理担当部長)、笠島健司(開発本部施設計画グループ担当部長)、松坂幸江(ファーレ倶楽部会長)各氏とはじめて対面。当初予定されていた立川市からの出席はなし。当日は、東神開発からは計画の概要の口頭での提示も資料配布も一切なされず、極めて異様。

 14日の会合で岡﨑は自身の把握する、計画の前提としてファーレ立川の都市計画上の意味の説明、都市文化としての歴史的意味、文化的美術的価値と評価、および自身の作品(「Mount Ida─イーデーの山(少年パリスはまだ羊飼いをしている」)の説明を行なう。(岡﨑が、そもそものファーレ立川全体の計画、経緯および岡﨑自身の作品のコンセプト、そしてファーレ立川全体の都市計画も含んだ文化的価値などについて説明したのは、新しい計画の有無に拘らず、ファーレ立川に関わる、すべての建築、都市、文化計画が必ず共有されるべき一般的知識を相互で再確認するためでした。このファーレ立川の文化的価値についての認識が共有されているならば、まずこうした文化財に影響する懸念のある都市、建築計画などが生じた場合、近隣及び立川市、東京都など、この場所が属する行政区の、美術館、美術大学など公的文化機関に相談するのが一般化された筋道であるとも話しました。この地区を管理運営している側、計画を立案した者は当然、公的機関への問い合わせなどを行うべきではないか、ともアドバイスしました)。

 相手から伝えられたのは、ただ(背景の計画の提示なしに)撤去が避けられないとの口頭伝達、移設場所も検討したが困難という報告。その判断を妥当、合理的と裏付ける具体的な計画説明、資料の提示はいっさいなく、つまりB.C.の提示はなかった。

1. 11月23日付 岡﨑側は、計画の概要を書面で示す基礎資料のB.C.の提示を再度もとめる書面を送る。

2. 12月2日付 川口哲生(立川商工会議所会頭)、椙山達也(東神開発株式会社営業本部首都圏事業部管理担当部長)、笠島健司(開発本部施設計画グループ担当部長)、飛田洋二(株式会社アートフロントギャラリー)各氏の四者連名(以下受け取った書面はすべて四者連名)より、求めている資料は提示できないという旨の返信。

3. 12月5日付 岡﨑側は、再度、計画の概要を書面で示す基礎資料のB. C.の提示をもとめる。

4. 12月26日付 四者連名(ファーレ立川側)より以下の書面を受け取る。誤解を生じる可能性があるからB.C.の開示はできないという趣旨。面談にして説明したいとのこと。

5. 2022年12月31日付 岡﨑側は、4.に対して、面談し議論する内容の概要を文書にして知らせていただけるよう、期間限定で返信を依頼する書面を送付する。

6. 2023年1月6日 四者連名(ファーレ立川側)期間内の返答ができないという書面。

7. 2023年1月12日 四者連名(ファーレ立川側)、書面での開示はできない、面談で相談したいという旨の書面

2.「Mount Ida─イーデーの山(少年パリスはまだ羊飼いをしている)」についての作品説明

先品のタイトル サイズ、素材などの基本情報は 以下
https://kenjirookazaki.com/jpn/works/1994-013


ファーレ立川は返還された米軍基地跡地でした。その米軍基地用地拡張のため、日本政府による市民の土地の強制収用を巡って激しい闘争(砂川闘争)があったことはよく知られています。
 この彫刻「Mount Ida─イーデーの山(少年パリスはまだ羊飼いをしている」の制作中に考え続けた核心は、「ほんとうの公共的な領域とは何か、それをいかに彫刻として確保するか」でした。
 誰にも占拠されない、誰の土地でもない空白を彫刻の内側(この彫刻の中心には換気口という実際の穴もあります、その穴の上に人は立てない)に置いて、そこに人間の手の侵入から逃れた自然、植栽をおき鳥や動物たちを招く、というコンセプトはそこから来ています。この彫刻の設計思想の源泉は、現在もつづく砂川の人々の活動(たとえば収用された土地でいまも耕作をつづける)から受けています。つまり フェンスに囲まれた中の空間は(立川の市民が大切に、守ってきた)誰にも侵されることのできない(忘れてはいけない)場所の尊厳を象徴しています。

 計画当時は裏手だった高島屋ビルの西側に、この彫刻の設置は計画されましたが、将来こちらが都市軸の中心になることは明らかでした。

 立川駅から地上に降りた歩行者は北口大通りを通って立川北口公園からファーレ立川街区の内側に進み、昭和記念公園へ、ファーレ立川内のいわば芸術と緑が一体となった道(当初そこは芝生に覆われ、寝そべることのできる遊歩道になる計画もありました)を遊覧しつつ抜けていきます。その先にやがて北部に開発されるだろう新しい施設の賑わいができることも計画の前提でした。もしこのエリアが緑で被われていたら、いまよりも絶好の公園歩道になって賑わいを見せていただろうと思います。その道を抜け(レイノーの彫刻のある)、サンサンロードに開く広小路がファーレ立川の将来の入り口になるはずでした。つまり「Mount Ida─イーデーの山(少年パリスはまだ羊飼いをしている)」はサンサンロードに開いた開口部=ファーレ立川の正面玄関の右側に将来、位置することが予測されていました。

そのファーレ立川の正面の顔としての姿と、さらに数年後に建設されるモノレールの軸線が新しい都市軸の中心となり、そのモノレールの上からの視点、移動する視点がこのファーレ立川の街区、そして彫刻作品「Mount Ida─イーデーの山(少年パリスはまだ羊飼いをしている)」を見る視点の中心になるだろうこと。すなわち新たな都市軸の展開から考えて、ここが表玄関、ファサードとして機能するようになることは明らかでした。

 以上を踏まえて、この彫刻の形態は案出されました。すなわち彫刻が置かれる(未来を見据えた)文脈の変化との対応が、彫刻の形態に仕組まれています。

 正面から見て、一見なだらかな山形にも見える形態は、街のファサードとして、(背後に壁がそびえることも配慮し)、主題を含めてギリシャ神殿(トロイア戦争を主題にしたアファイア神殿)のペディメントの形式を踏襲しています。

 ギリシャのペディメントでは左右を裏表反転させ片方から見ているにもかかわらず両面がみえているような感覚をもたらせています。

加えて進行するモノレールの運動軸(視点の移動)に応答して、以下のような操作を加えてあります。

 直方体を同じ形態、2つに等分する。その二つを重ね合わせた直方体のまま長軸を軸に九十度回転させる(捻る)。分割した2つの形態を扇状に開いて並べる(2つの形態それぞれの方向を逆転させて並べる)。結果としてドリルの刃の形態のように凹凸のネガティブスペースとポジティブスペースが2つずつ、計4個回転していくような形態が得られる。

フェンスの中の実際のネガティブな空間は、誰も入ることのできないサンクチュアリ(聖なる空間)を包摂し、フェンス彫刻の外側の渦巻くような虚のネガティブな空間は、時間の変化をとりこみ運動に巻き込み、また前方、後方に発出していきます。

 この彫刻をつくるとき必死で考えたのは、文化にとって何がもっとも大切なのか、守らなければいけないかということでした。彫刻は正面からは、やさしい故郷の山のような姿にも見えます。が、この山々はねじれ絡み合い、歴史のさまざまな葛藤にまきこまれながらも、それをダイナミックに旋回し前進する力へ変換する運動体として構成されています。

 不動にみえるほど大きな体躯の鯨がつねに荒波、暴風に翻弄され大海原を泳ぎきっていくように、この双子のような二つの形態も互いに役割を交換しながら(相互に植生、生態系、情報のやりとりをしながら)立川という激しい歴史を持つ土地で、訪れる歴史の渦にもまれながらも生きぬいていくだろう、その大きな身体の中にだれも侵入できない楽園を守りながら。こうした想いがこの彫刻の形態に込められています。

 タイトルの《イーデーの山》はギリシャの神々が生まれた故郷のような山です。パリスは牧童でしたが、のちに美女を決定する、パリスの審判をまかされ、それがトロイア戦争のキッカケになってしまうのです。この彫刻で(すくなくともフェンスの中では)、少年パリスはまだ(ずっと)平和なイーデーの山のなかにいることになります。山を崩し、パリスを世俗世界の葛藤に引き出し、世俗に塗れさせるのはなんでしょうか?もうイーデーの山は幻のようになって消されてしまうのでしょうか?70年近い歴史とともに消えてしまう。恐ろしいことだと思います。

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