Haizuka Earthworks Projects

概要──灰塚アースワークプロジェクトについて

1 経緯

total_photo.jpg1965年、広島県の中山間地(rural district)に治水用のダム建設計画が発表される。ダムによる治水が求められた江の川は暴れ川とも呼ばれ、幾度も洪水を繰り返していた。ダムの計画されるエリアは、広島市から40mile北東、中国山地の南に位置する三良坂町、吉舎町、総領町の三町にまたがる4mile四方、16平方mile(4144ha)の谷間である。

主に農業が営まれていた広大な領域が、ダム湖用地(半分近くは通常は水につからぬ洪水調整池)として接収されることになった。計画地は(ダムが計画される地域としては例外的に)集落が散在し、自然環境のみならず、豊かな自然環境とむすびついた豊かな地域文化が形成されており、ダム建設はこの環境を激変させる。必然的に住民たちによる強いダム建設反対運動が起こる。
だが、1972年に江の川に起こった大きな洪水被害に加えて、地域経済の疲弊、過疎化も進行し、1980年代中頃には、ダム建設受け入れは避けられない状況となった。毎年度、工事進行過程を住民側に開示し、住民側からの提案を受け入れ協議を行ない、合意を形成するという条件で、ダム受け入れが決定される。1993年、ダム建設がもたらす自然環境および地域文化へのダメージを可能な限り食い止める方策を提案する組織として、地域住民と岡崎乾二郎など芸術家、建築家たち専門家によるワーキンググループ(灰塚アースワークプロジェクト)が結成される。
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